手が届くなら手に入れる。悪魔の囁きに勝ったお話。
食べ物や着るもの、雑貨など、手に届きそうな物を購入する時に、悪魔の囁きが聴こえることがあります。
悪魔たちはきっと、わたしのお財布やお金の心配をしてくれる存在で、わたしのために言ってくれているんだろうと推測します。
が、そんなものいらねぇ。我慢は体に良くないんだぞ。
ということで、今月はこんな感じで試してみました。
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つい先日の話です。
医者に行き、市役所に行って用事を済ませた後、無性~にストレスが溜まって苛ついてました。
医者や役所の用事を済ませた後は、大概こんな感じになります。
そのため、医者に行った帰りは、結構好きな食べ物を買ったり、食べに行ったりすることにしています。
この日の気分は
『パン食べたい』
でした。
無性~にパンが食べたい。
パンだ。
パン一択だ。
それ以外は考えられない。
わたしは、自転車乗りながら考えました。どうする?
- パン食べ放題のある309や鎌倉パスタに行くか。
- 好きなパンを気の済むまで買って食べるか。
で、後者にしました。
パン以外、食べたいものがない。
それなら、パンだけ買って食べたほうがいい、と。
自転車で自宅傍を通り過ぎ、一路、地元スーパーへ。
ここはベーカリーのついたスーパーで、税込み106円でパンが買えます。
パンを買いに来ながら店内を歩いていると、ここでも軽く葛藤がありました。
心の中の悪魔はささやきます。
「パン祭り、本当にするの~??」
「砂糖や添加物が結構はいってるし、からだに悪いよ」
「(黄色いシールの付いた肉などを見て)パンを買うお金で、これも買えるんだね。結構さ、無駄遣いなんじゃない??」
「パンなんか買うくらいなら、買わずに家で作ったら??焼き方知ってるんでしょう??」
「無駄遣いだよね~、こんなもの買ってどうするの。」
「お金もったいないよねーやだやだ無駄遣い」
「甘いものならさ、果物とかのほうがいいよ。」
等など。まぁ~、悪魔って本当におしゃべりでお節介。
一瞬、悪魔の声に従いそうになりながらも、心の中で思ったのが
『え、パン買いたくてきたんだよね。パン食べたかったんだよね』
『確かに、添加物とか砂糖とかからだに悪いよね。食べたあと、数日ダメージ残るし。』(甘いもの食べた後、酷い時は口内炎が出る)
『でもさ、食べたいんだからいいんじゃないの?買って帰ろうよ。栄養??無視無視。普段の食事で取り返せば大丈夫さっ』
『身体にダメージ出たらどうする?いいじゃん、その時考えれば』
という事で、悪魔の囁きに勝ち、パン買って帰りました。
ランチは、もちろんパン祭りヽ(=´▽`=)ノ
お腹いっぱい、美味しく頂きました。満足です。
こういう時は、我慢しないほうがいいんです。
我慢しちゃうと、後々まで後悔するし、そのストレスで、代替品を買って食べたりしちゃう。
こういう時の代替品って、大概、普段買わない、口にもしないものだったりします。
遠い昔、ストレス溜まりすぎて毎日ピーナッツチョコの大袋を1袋食べてたときみたいな感じになるの。
その頃の自分は、とっても太っていて、自分ダメだって言い聞かせてた。
なんで我慢するわけ??さっさと我慢辞めたらいいじゃんよ。
我慢しなきゃ、って思い込んでいる根っこにある事をさっさとやっちゃったほうが、精神的に健康でいられるし、お財布にも優しいよ。
と、これを書きながら、思い浮かんだ当時の自分に心で言い聞かせてみたりしてます。
先延ばしするよりもね。さっさと買ってしまってから、残った金額で一月過ごす事を考えたほうが、ストレスなく過ごせてしあわせですよ。
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今月そういう生活をしてみて実感しました。
普段なら、月末まで我慢するようなちょっと大きな買い物でも、ためらわずに買って家計簿とにらめっこしながら暮らしてみました。
結果、先月よりもお金使わないで暮らしてる。
なのに、幸福感マシマシで悩みがありません。
買わない方向の我慢、節約という名の我慢もいいですが、手を伸ばせば手に入る、本当に欲しいものがあるなら、悪魔の囁きを無視しても大丈夫。
心配事は後々出るかもしれないけれど、その時に考えればいい。
一月試して、そんな風に感じました。
今日はそんな感じです。
家計簿とスピリチュアル
一見繋がりのないこれらが、もし繋がっているのだとすれば、こんな感じかな??
なんて思うことを、自分なりに書いてみますね。
情報を掴んで、考えて、戦略を立てて、イメージして、っていういわゆる頭脳系の事が”天”。で、地道かもしれませんが、やってみて、行動して、息吸って吐いて、ご飯食べて出して、をしているのが”地”。
自分の中では、そんなイメージがあります。
で、家計簿ってどちらかと言うと”地”かなぁ~と思う。
けれど、”天”に当たる部分を記録し、目で見て、自分の選択の基準の整理をする。
日々日々これの繰り返しだから、どちらかと言えば”地”に近いように思います。
日々日々続ける事で思考の整理がつくだけじゃなく、自分がどんな基準でモノを選んでいるのかを目で見て確認していきながら、ひとつひとつ自分の中にあるごちゃっとしたままだった価値観の整理を付けていく。最初のうちは、気の遠くなるような感覚を覚えましたが、すぐに慣れるし、自分の中でいろんな事の整理がつくので、どんどん心が楽になります。
それはさながら、部屋を片付けていくのと同じような感覚。
いつも収まる場所に、自分ルールに基づいて収まるものを収めていく作業。
ただそれが、部屋とは異なり、普段は見えない、お金や経済に直結した価値観の整理だというだけ。
選択って普段は見えないし、なんとなくな部分なので気づきにくいんですが、きちんと目に見える形にして振り返りをすると、結構気づくことが多くて驚きますよ。
なんとなく嫌なのに付き合で、とか、必要ないのにやすかったし、とか。
自分に正直じゃない、そんな自分の心の声に気づいてびっくりします。
(10ヶ月付けた今も、そういう事が時々あるのでびっくりしてます。)
それに気づいたとき、スルーせずにそこと向き合って考えるようにする。
- 嫌だったり不必要なのに、なぜそれを選んだのか。
お金や経済の価値観って結局、自分の育った環境や付き合った人たちの価値観に影響を受けている部分です。
その中には、自分にとって好ましいものと好ましくないものがある。
わたしが家計簿で向き合い断舎離していったものは、自分にとって好ましくなかったものでした。
雑草を抜くがごとくそこを整理していくと、問題がはっきりします。
問題がはっきりしたら、なんらかの対策が取れます。
あとはそれを実行する、そしてこれを日々繰り返すだけ。
余計な事を考えなくて済むようになるから、スペースが出来るぶんいろいろと楽になります。そうして余ったエネルギーを、本来活かしたい方向へ使えばいい。
思考も、お金も、体力も。
そんな風に考えた時に、ふと思ったのが表題の通り。
家計簿とスピリチュアルって、離れているようで近いかも、と。
無意識に選択している事を書き出し、書いている時に感じていることと向き合い、考え、そして整理する。問題がはっきりしたら、考えて、今できる一番簡単な事から始めてみる。
えー!って自分でびっくりするほど簡単で、日々続くところから。
ひとつひとつ積み重ねて、過去に受け取った要らないゴミの整理をしてゆきましょう^^
お金が出ていく、支払いや引き落としが怖いあなたへ
通帳残高が減っちゃう・・・どうしよう、とか
使いすぎちゃってお金が出てっちゃう、怖い、とか
引き落としかかっちゃう、どうしよう、とか
稼げないから豊かじゃないんだ、とか。
金額(数字)だけ見て溜息ついてる人の意見とか聞いてるとイライラするし
そんな彼ら(彼女たち)に聴きたくなる。
君たちは、一体どこを見ているんだ!と。
- 通帳残高が減った、
- お財布が薄い
- お金使いすぎた
ってことは、それだけ手に入ったなにかがあるってことだよね。
光熱費を引き落としにしているんだったら、引き落とされた金額分の光熱費を使ったってことだし、クレカの引き落としがあったんだったら、それだけの物やサービスを手に入れたってことだし。
使いすぎて怖い、と思うなら、それだけの物やサービスが手に入ったってこと。
でしょ?
じゃぁね、一体それだけ何を手に入れたの?って話だよ。
内訳、ちゃんとわかってる??
家計簿のリストを見ろ、と言ってるのはココです。
大概、金額ばかりを追ってる人が多いから見てない事が多いし、その傾向は強いんじゃないかな。
実際、結構な数の人からお金の話を聞いてるけど、金額の話ばっかり出てくるからね。大体、そういう傾向なんじゃないか、とわたしは思う次第です。
引き落とし怖い、についてだけ言えばね。
例えば、うちの7、8月の電気代は6000円超えてました。
8月に至っては、7000円近くいきました。アパートでの一人暮らしで、です。
今年の夏は異常な暑さだったので、電気代怖くてもエアコン切れませんでした。
だって、命のが大事だもん。命に比べれば、エアコン代くらいなんてことないでしょう?
でもね、怖いと言ってる割には怖くなかったんですよね。なぜか、といえば、大体普段どのくらいの金額がどこにかかっているかを知っているから。
支払った金額、引き落とされた口座の金額で、手に入れている物やサービスを知っているからです。そしてそれは、かなり自分好みに厳選してる。
だから、後悔はありません。
むしろ、家計簿をつければつけるほど、手に入れたい物やサービスだけを選ぶようになるから、お金が出ていくから怖いという感覚からは遠くなる。
出てくけど、手に入れた物やサービスに満足しているから、ストレスはありません。
無駄遣いするな、とよく言われますが、無駄遣いしないとはこういう事です。
日頃、自分が持っているお金で何を手に入れているのかを把握しておくこと。
そして、
・それが満足感に繋がっているか
・それを手に入れることで喜んでいるか
をちゃんと考えて手に入れているかどうか、ということ。
お金が出ていって怖い、って思うのはとどのつまり
- 金額だけ追っていて、自分がそれで何を手に入れているのか
- 手に入れたもので何を感じているのか
がわかってないからだと、自分の体験から思います。
家計簿を愛のリストにするために。
家計簿をつける時、わたしは金額よりも、項目?費目?(これの正式名称ってなんだ?ここでは費目で統一します)の方を優先的に見ます。もちろん、使った金額は大事です。当然、残額も大事。
けれど、それも踏まえた上で、わたしはあえて費目を優先的に見ます。なぜなら、費目とは、今日の自分が選んだモノのリストだから。
家計簿やお小遣い帳などのお金にまつわる帳面をつけているときって、購入した時の事を思い出しませんか?わたしは付けながら結構思い出します。それを購入したり、そのサービスを買ったりしたその時々の事を詳細に。
例えば誰かに会って、一緒にお茶を飲んだときに感じたこと。それが楽しい思い出ならいいんですが、嫌な事があったりしたら、付けながらめっちゃそれを思い出して後悔します。
他には、今は足りてるけど特売だったからというだけで、ついつい買ってしまったりとか。後で見直してみて、あれ?なんでこんな物買っちゃってんの??と思ったり。食べないのに安いってだけで勢いで買ってしまい、いつまでも食べずにそこにある、みたいなお菓子とか。今でも部屋の何処かにありそうです。
むしゃくしゃしたから、苛ついたからという理由で、ケーキの食べ放題やスーパーの袋菓子などを大量に大人買いしてやけ食いしたり、ビュッフェなどで食べ過ぎたりや、普段は呑まないお酒を買ってきて、無茶な飲み方したり、ということを、以前はずいぶんやりました。
健康に不安があるから健康になりたい一心でサプリメントを十数種類購入して飲んでいたり、毎日会社で仕事するのが辛くて、それを紛らわすかのように大袋のチョコレートを1日1袋半づつ開けてたり、など。
今思えば、そこまで我慢しなくても良かったのに。やめちゃえよ、と思うことも多々ありました。振り返って考えてみると、そういう事をするときは大体、何かを我慢して無理に頑張っていた時だったように思います。
無理に頑張っているから、このくらいいいじゃないか。
頑張ってるんだから、ご褒美しないと。
とか考えないとやっていられなかったし、実際に体壊すほどの無理をしてました。
サプリ大人買いして飲んでたときは、広告やCMなどで言われているような、広告やCMを作る側が持っている完璧な健康的なイメージや美しさの基準と自分を比べて
「あたしはダメなんだ」
と信じてしまい、
「あんなふうにならなくちゃ」
と思い込んで、あれもこれも必要・・・と思って買い込んでました。
他人の中にある価値観に合わせる必要もないんですが、当時はそこまで考える余裕もなかったように思います。実際、そこまでサプリメント購入して飲んでも、変化はありませんでしたし、むしろ、胃が荒れて気持ち悪くなり、却って体調を崩してましたもん、あの当時。
この事も、もう数十年以上も前のことなので、今は笑って言えるようになりました。
こうして振り返ると、嫌な出来事の後やネガティブな出来事の後ほど、無駄にお金使って憂さ晴らしをしていように思えますが、見方を変えると
間接的にお金に八つ当たりしてるのと同じなんじゃΣ(゚∀゚ノ)ノ
という事に気づき、事実と向きあい、家計簿つけながらアイタタタ・・・になったことが一体どれだけあった事か。
使った金額とだけ向き合っていた頃はこんなことは思わず、金額だけ見て
「無駄遣いした」と思い、
「次回からこういう遣い方は止めよう」
と決意して同じことを繰り返す。ということは結構な頻度でありました。が、ここまで、お金を使った出来事や原因に対して向き合うことはありませんでした。
けれど、費目に優先順位を置き、使った金額と向き合ったときに見えてきたのは、お金というものに投影していた自分の価値観や信念でした。
お金は大事に、と言いながら、振り返るとずいぶん乱暴に扱ってきたな、と恥ずかしながら思います。そしてそれはとどの詰まり、自分への虐待だな、と。自分をそういう風に、自分で扱ってきたって事なんだなぁと。
家計簿の費目。日々つける家計簿の費目で、ここまで振り返りが出来るって事が、まず一番の驚きでした。
これを愛のリストにするのか。
それとも、虐待記録にするのか。
その他があるのか。
それ自体が自分次第なんですよね。お金と自分に八つ当たりせず、生き方そのものを変えていく。当然、一朝一夕で簡単には変わりません。
ですが、日々続けるものだからこそ、日々の中で考えて実行するから習慣化しやすい。
そして、自分が選ぶ基準も変わるから、当然生きやすくなるし心も楽になる。
それを選んだ自分と向き合い、正直になり、嫌なことそのものを止めていく。
つまり、それを選んだ根幹を変えていく。勇気がいるように思えても、小さいところから振り返り、見つめ、考える事が大事なんじゃないかな、と思います。
わたしは、それを約1年続けました。
日々の事なので、家計簿をつけながら考える事も、買うときに考えることも、いつの間にか習慣化しました。付き合いをやめた人も結構な数いますし、嫌なのに習慣化している事も、ずいぶんと止めています。
止められると楽な事って本当に多いですよ。止めたぶんだけ、本来やりたかったことや我慢してきたことに、いろいろをかけられるようにすればいい。
今はそんなふうに思います。
自信がないなら、まずは書き出し見える化してみる
家計簿を付け始めたきっかけのことを
一番最初の記事で書きました。
お金に関してわたしは、
うちの親には散々金遣いが荒いとダメ出しをされて育ち、
その後付き合ったパートナーからは無駄遣いばかりすると罵られて過ごし
結果、お金にまつわる価値観はずたずたになりました。
それをなんとかしたい、けどどうしたらいいかわからない。
そう思いあぐねていた時に、
「なら、見える化すればいんじゃね??」
とひらめいて。
本当にそうなのか。言われているようにダメダメなのか。
きちんと付けてみて確認しよう。
そう思ったのがきっかけでした。
まずは一ヶ月付けて、見える形で残してみました。
見える化して気づいた事は、親やパートナーがずっと言ってたように
- お金の遣い方がだらしないわけでも
- 無駄遣いするわけでもなかった、ということ。
むしろ、きちんと考えて必要なものにお金をかけてる。
それが眼の前にあるノートの中で証明されていました。
これね、最初の一ヶ月目が終わった時に
改めて眺めて思ったの。
嗚呼、わたしちゃんとできてんじゃん。
やれてんじゃん、よかったぁって。
親やパートナーという自分以外の人が言ってたように
金遣いが荒いわけでも、無駄遣いばかりなわけじゃなかった。
あれって、単なる言いがかりだったんだね、と。
そんなものを真に受けて、自信失くしてただけだったんだ、と。
気づいたら、心が楽になりました。
そして、自分に自信が少しだけ持てた。
それでも付け始めた初月は、今よりも課題がまだまだ多かったです。
不安からくるあらゆる無駄が整理できてなかったし。
けれど、この気付きは大きかった。
このテの他人の意見というものが、如何に自分という人間を
きちんと見ずに言っているのかがよーくわかった出来事でした。
この収穫は、家計がどうこう以上に自分にとっては大きかった。
なぜなら、この気付きから、他人と自分の間の境界線を
意識して引く事ができるようになれたからです。
家計簿で見えてくるのは、心の「現在地」
家計簿で見えてくるのは、心の「現在地」。
これは家計簿を付け始めた頃に気づいたことでした。
レシートとにらめっこしながら転記したり
計算機叩きながら、常にいろいろ考えている
自分の思考に気づいたからです。
・今日、野菜買いすぎちゃったかなぁ。すぐには食べないのに
・これ必要だったのかなぁ。買ったはいいけど、使わなそう
・安かったから買っちゃったけど、今必要ないのよね
とか。
まだまだあるけど、いっつもいっつもこんな事が頭の中で自動的に巡っています。
単純に嬉しかったり喜んだのもあるんだけど、
どちらかと言えば不安やネガティブさの方が最初のうち多かったです。
ずーっとね、それらを否定せずにモニターしてたの。
そして気づいたの。
あぁ、これが、今の自分のお金に関する価値観なんだな・・・^^;
という事に。
これが、自分のお金に投影していた自分自身の価値観、
つまりコーチング的に言う現在地ってやつです。
これさぁ、いつもいつも、なんとなく当たり前に考えていることなんですよね。
でも、それでいいか、といえば、それでいいはずないじゃんよ、と。
あまりにもネガティブ強すぎて泣けてくるほどだったので
気づいた時に、きちんと心と向き合うことにしました。
- お金を使ってネガティブさや後悔を感じているなら、なぜ感じたのか。
- お金を使って満たされたと思うなら、それはなぜか。
日々のことなので、ひとつひとつと向き合って、きちんと考えていくと
自分がどうしてそれを選んだのかが見えてきます。
大事なのは、ここでした。
- どうして、それを選んだのか。
- それを手に入れることで、どうなりたかったのか。
- それを手に入れたら、どんな事を感じられるのか。
きちんと向き合うと、自分の内側で考えていることや価値観がわかります。
それがわかったら、その時に考え直せばいい。
お金を通して見えてくる、自分の選択や価値観を。
きちんと向き合ってひとつひとつ見直していったときに気づいたのは
自分が今まで人間関係を含めた何かを選んできた選択と
お金にまつわる価値観がダイレクトに繋がっていたことでした。
当初は、悲しくなるほどボロボロでしたよ。
だから、徹底的にみなおさなきゃならない。
そう思ったので、まず見直していった事は
- 購入した動機や理由にネガティブさを感じた事柄や物のすべてを一から見直し
- ひとつひとつ細かく見ていきながら、果たしてそれが今後に必要かどうかを考え
- 必要なものは残し、不要と感じたものや事はすべて辞めた
こんな感じ。
正直、最初は不安がわんさか出てきました。
やめちゃって大丈夫かどうか。やめようとする時に、どこかで感じます。
でもその度に、自分に言い聞かせてた事がありました。
ここは日本であり、欲しいものはいつだって入手可能。
だからそこまで焦る必要もないからいいや、と。
結果的に、どんどん楽な生き方ができるようになりました。
おまけに、手元にお金が残るんだよね。
結構好きなモノを手に入れて、好きな人達とあっている割に。
なので今は思います。
どれだけ、お金に余計なことを投影してたんだろう・・・と。
気持ちのいい一日でした
気持ちのいい挨拶のできる人や、コミュニケーションに触れると強烈に思います。
今まで何してたんだろうな、って。
お金との関係性と、人との関係性って同じだと常々思っているので尚の事。
他人と、いいコミュニケーションが取れた日は、それだけでしあわせになる。
そう思うほどに、今日は気持ちのいい一日を過ごしました。
スーパー銭湯な気分だったので、準備してから図書館に本を返しに行き、
その後に行くことに。
着替えやタオルなど、そこそこ増えた荷物を持ち歩きつつ、バスで図書館へ向かいます。
本を返し終わってから、バス停でバス待ちをしていると
可愛らしいハクセキレイさんが。
石の上で、念入りにグルーミングしたかと思ったら
飛び込んで、そのまま豪快に水浴びしてました。
まるで、1時間後の自分を見るようだわ(*^^*)
と、可愛らしい小鳥の水浴びに身悶えしつつ、スーパー銭湯へ。
いろんなお風呂といろんな岩盤を堪能して、帰宅しました。
帰りのバスの運転手さんが、すごくいい人でね。
お客さんひとりひとりに、丁寧に声をかけてたの。
「お疲れ様です」
「お気をつけて」
それはそれは丁寧に。
そして、楽しそうにバスを運転してました。
あーいいなぁ、こういうやりとり。
お風呂で毒気をすっかり抜いた後の、とてもあたたかくて爽やかな出会い。
こういう人間関係、理想だよねー♡
うん、大好きだよねー♡
なんて思いました。
気づけば、家計簿をつけるようになってから、ずいぶんとお付き合いを辞めた方々と、新たに知り合い、お付き合いを始めた方々がいます。
付き合い自体を辞めた人たちと、お付き合いできる方々との違いってなんだろう。
考えた時に出てきた答えはさしあたり2つ。
- お金の有無で人を判断するところがあった(それ、すごいんですか?)
- なぜか人を見下し、マウンティングしてきた(あなたそんなに偉いんですか?)
まー自分ツッコミしちゃいましたけども。
そんな自分の過去が痛すぎ。。。
こんな連中とばっかり付き合って、意識高いつもりでいた自分だったって事ですもの。
当時はそこに特別意識的なものを持っていてさ。
学んだそばから、
「わたしはすごい人間なんだー」
なんて、痛々しい事を思ってました。そして彼らのように、他人様を見下してました。
正直、人を見る目がなさすぎました。今はそう思います。
けど、そこに気づけたおかげで、お付き合い自体をすっぱりと辞められた。
おかげで今は楽でいい。
しかし、思い返せば
全員、自己啓発系をよく学んでいる意識高い系でした
もちろん、学んでいる全員がそうだとは言えないし(知らないから)
思うこともありません。が、
お金の有る無し、お金持ちかどうかで他人をジャッジし、自分よりも低い、と思ったらその人にマウンティングしてくる。そういう人たちだったんですよね。
なのでもし、今もお付き合いが続いていたとしたら、百害あって一利無し、は確実。
そこから離れられて、心底よかったと思います。
実際、お付き合いを辞めたら余計な事を考えなくても良くなったし
悩みもなくなったから楽だし(^^)
どのみちね。
そういう人たちは、どんな立場であれ他人を活かすことなんて出来ないだろうな。
というのは、実感を伴って感じた部分でした。
お金、お金ってギラギラしてるとさぁ。
嫌われるよ、マジで。
お金の向こうにいる人の姿が、わたしには見えてません。
そう言ってるのと同じですから。