人生が輝く魔法の家計簿

家計簿は、一日一日の自らの投影。何をどんな風に入手したかを考え直すためのツールです。それを使いこなし、お金との関係を円滑にする。魔法の家計簿は、手持ちの金額にかかわらず自らを幸せにする魔法です。

無駄遣いだと心が騒いでも、大丈夫。お金というツールを使いこなすのは数稽古というお話。

家計簿をつけて今月末ではや1年。

なのに買い物していて、未だに

「買いすぎたー」

だの

「だぁーっ、無駄遣いしすぎたー」

だの
 
「お金ないー、どうしようー」
 
だの、魂レベルで罪悪感にまみれて叫ぶ。そんな自分を感じながら、本当にそうなのか、感じている事が真実なのかどうかを、家計簿を開き、過去数ヶ月の同じ日と比べることにしている。
 
そうすると必ず
「あれ??」
と、目が点になる。
 
前月からさかのぼり、過去の同じ日の家計簿に記された残額よりも、今のほうが確実に多いから。記録はそれを、如実に物語っている。
 
つまり、手持ちは確実に以前よりも多く持っているし、絶対に困ることにならない。緊急時に、対応できるだけの手持ちはあるのだ。
 
それなのに、いっつもいっつも
「お金ない、どうしよう」
となる。
 
面白いなぁ。こういうやりとり。
 
ちっとも進歩していないように見えながら、こうやって認識が書き換わってゆくさまを今眺めてるんだなぁ。と、しみじみと微笑ましさを感じる。
 
つくづく、お金というツールは数稽古だと言うことを認識する瞬間だ。
 

 

世の中には、稼ぐ系や増やす系の情報はとても多い。が、お金そのものを使いこなすための情報は少ないように思える。
 
経済を軸にした家計簿の記事などでは、いわゆる支出を減らす系の情報が書かれている。そこには結構な割合で、
「無駄遣いを減らす」
とある。
 
無駄遣い、という言葉を読んだ時に思うのが、自分事に関する支出。趣味だから、欲しいから、かわいいから、等など、いろいろと心が動いて、どうしてもほしいです!という物はあるだろう。
 
じゃぁ無駄遣いって何?と思い辞書で調べてみると、
 
・無駄遣いとは、役に立たないことにお金をつかうこと
 
と書いてある。
じゃぁ節約は?と思い調べてみると
 
・節約とは無駄を省いて切り詰める事
 
と書いてある。
 
つまり無駄遣いをせず節約するっていうのは
 
「役に立たないことにお金をつかう事を減らし、切り詰める」
ということになるのだろう。
 
大体の人は、ここで思考が止まるんだと思う。
 
しかし、わたしは、こと言葉のラベリングに関しては、その意味や解釈を納得がいくまで普段から掘り下げて掘り下げて、を趣味とする変態だ。
 
だから、脳内で、こんな質問を繰り出す。

・「無駄遣い」の「無駄」とは何を指すのか?
・切り詰める対象は何か?
・自分の中でそれらの言葉の持つ意味合いを、一般化してはいないか。
・一般化している場合、それを行うとどんな気分になるか
・一般的な意味合いと異なり、自分の本来必要なものを手に入れた(購入した)場合、どんな気持ちになるか
・その結果、どうなったのか
 
細かいかもしれないのだが、こんな事を家計簿をつけながらいつも意識して掘り下げてゆくのが大好きだ。なぜなら、
 
・わたしにとっての「無駄」と、
・世間一般で言われている「無駄」と、
・これを読んでいる誰かの胸の中にある「無駄」
 
の概念や価値観って、おそらくまるっと違うはず。
 
世間一般で言われている価値観に合わせてやってみてうまくいかないと思ったときほど、一度リセットして見直し、そして考えてやり方を変えている。
 
「無駄遣いしたー」
 
と叫ぶ自分自身を駆逐しようとせずに、記録を見ながらきちんと立ち止まり、叫ぶ自分と共に作戦会議をする。納得するまでする。
 
こんな事を、わたしは日頃からやっています。
 
家計簿って、そのためのツールでもあるんですよね。日々のお金の流れを記録して把握するツールではありますが、ネガティブな思いが出てきた時に、実際本当にそうなのかどうかを過去の記録と比較して見直すツール。
 
記録をつけてゆくってコツコツした作業だし、めっちゃ地味な作業ですが、驚くほどパワーがあります。たとえ小さくても、見直し、考え、実践していく。
 
それだけでお金の使い方や習慣が変わり、自分の好き嫌いを実感し、結果的に、ほんとうの意味での無駄遣いが減らせます。
 
結果、自分が本当にしあわせを感じることにだけお金をつかうようになる。これが実感できた今、つくづく、お金というツールを使いこなすのは数稽古だと実感します。




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